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クリエーターとして羨望を禁じ得ない作品、それが前田流巌窟王だ! |
ボクはDVDの第1幕第2幕を見終って・・・いや見終ったことすら忘れて絶句していた。余りにもエキセントリックな衝激に言葉もない!「貴奴は何者なのだ!?」の思いが改めてボクの前頭葉を引っ掻いた、「貴奴」とは無論前田真宏監督のことだ。もう1度リプレイして画面を睨んで観賞する、そしてもう1度、そして又、リプレイ、深夜から払暁に至る、深閑の中で巌窟王とボクの睨めっこが何回繰り返されたことか・・・論評どころではない 感想すらまとまらないのだ、ただリプレイを重ねて伝わって来る面白さは限りない期待と共に只者ではない前田監督の存在が途方もなく大きくボクの上に押し掛って来る。 画面の巌窟王と前田監督が重なり合ってパルスを送ってくるのだ。巌窟王は前田監督そのものではないのか・・・フッとそんな思いがする。 この作品は、時を重ねる程観る者が受け止める面白さが増すだろう、ボクの孫の代になって更にヒットする筈だ。永劫の未来を感じずにはいられない作品が前田監督によって今生み出された比類の無い手応えを感じる。原作の「巌窟王」は「三銃士」や「紅はこべ」「ジャンバルジャン」「宝島」etcと言った名作と共にボクの記憶の中に「面白い」のDNAと化してイマージュメモリーとなっている作品だが前田巌窟王は、更なるDNAをボクの脳細胞の中に組み込んでくれた。映像の中に繰り展げられる人物の描写、物語の展開、構成の如何などについてボクが論評を思い至るには未だずっと先のことになるだろう。興奮のまゝ、今、言えるとすれば、実にSFチックな作品であり映像だと言うことだ。SFはSFでも普通ではないSFなのだ、つまりエキセントリックなSFとでも言っておこうか。 置き換えるなら、センセーショナル・フィールという意味でのSFだ。 全体に観て言うなら、見事なまでにコーディネートされた映像作品だと断言できる。画面の色調に観るコーディネートにしても唖然とする程見事なものだ。多彩な色を繰りながら色の主役を廃除している。画面の中から強烈に抜きん出る色がない、均等に融合した色調が、連係して観せる画面全体が彩りを一ッにして見せるのだから呆れる程ショッキングなのだ。 画面を如何に3Dに近づけられるかと言う立体に拘泥り続けてきたように見えたアニメに潔い見切りを着けたかのように平面立体的に構成した画面は観る者の感性に任ねて更なる立体を企図したとすれば実に見事だ、ボクはこの画面構成に2D+(ツーディプラス)と言う称号を与えたい。 ディズニーアニメ・手塚アニメ、そして近くは宮崎アニメに馴らされた大袈裟な抑揚を当然として来た人物の表情描写がアニメの証しであり、それが画面の中で例え如何様に血生臭い場面に出合ってもアニメだからと言う安心感を定着させられていたように思うが、前田作品の中ではそれさえキャンセルされていて、巌窟王ではそれは更に特化された。動かすには難しすぎる手の混んだ模様を思い切って静止したガラス板のように平板に仕立てて人物の衣裳に頭髪の中に、そして背景の中で奇妙にスライドして見える手法にも、前田監督の過去に蓄えたDNAと未来を拓くDNAの融合を感じさせられて同時に奇妙が奇妙ではない新たなスタンダードを構築している。色彩にも設定構成にも突出したむやみに一点に魅きつけようとする主役を置かず一見平板に思えるのに退屈も倦怠も感じさせない見る側の感性に染み入る様に伝わってくる面白さは到底尋常ではない力感を伴ってエキセントリックな想像を誘う。 前田作品の手始めとなったOVA青の6号に感じた何とも言えない力強さの根底にすでに監督の計り知れない感性の底力をあの時見せられていたことに今更気付いた思いだ。 改めて彼の力量と無限の可能性にふれてクリエーターとして羨望を禁じ得ない作品、それが前田流巌窟王だ! 原作者のデュマがもし今生にいたなら、文句なく期待と絶賛のエールを贈るだろうとボクには思える。この巌窟王の“面白さ”にふれた時、過去と既存のアニメに飼い慣らされたアニメファンならずとも観る者の進化を促される映像作品だ。 |
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