TOP story coordination character gallery event staff goods
スタッフ

■吉田 伸氏 第一弾
吉田さんが『スピードグラファー』のシリーズ構成を担当されることになったのは、杉島監督からの指名だったそうですが、これはいつ頃のことだったんですか?
  「放送が始まる二年くらい前かなあ」
その時点では『スピードグラファー』という企画は、どのくらいまでできあがっていたのでしょうか?
  「企画書の中にあったのは、フェチネタである、ということ。キャラクターは神楽、雑賀、水天宮。主人公が爆殺、写殺という能力を使うこと。それから男女の逃避行にしたいというところかな」
その企画書のどんなところに魅力を感じましたか?
  「企画書を書いたのは、APの人なんですけど、年齢が僕と一回り以上違うわけだから、時代の捉え方……時代観というのが、全然違うんですよ。ちょっと、こんな馬鹿な考え方があるのか、と(笑)。なんと言うのかな……僕らのまた一つ上の世代はほら、安保とか全共闘とかがあるわけだけど……」
60年代、70年代ですね。
  「その世代の方々が描かれた小説などを読むと、安保や全共闘に憧れてた、みたいな話がとても多いですよね」
そうですね。
  「それで『スピードグラファー』の企画書を見てみたら、そういうのと同じように、バブル時代が描かれていたわけ(笑)」
バブル時代というと、軽薄で空虚な時代だった、とよく言われますよね。
  「そうそうそう。でも、時間が経って、バブルの時代を大人として経験してない世代には、バブルっていうのが、ある種ムーブメントとか、時代のウェーブみたいに見えた部分もあったのかもしれないなあ、なんて」
『スピードグラファー』では「バブル戦争」という設定がありますね。
  「いやいや、バブルは戦争じゃないんだけどって(笑)。そうか、バブルってそういうものだったのか、俺は全然気づいていなかったけど」
きっと誰も気づいてなかったですね(笑)。
  「でもノリ的には面白いかな。番組にする際には、ある種のポップさみたいなものを入れたいな、と思った」
バブルの頃というと、吉田さんは何をされていたんですか?
  「平成元年に大学を卒業したんじゃなかったかな。一回就職して、辞めたり……」
会社を辞めて、何をしていたんですか?
  「自主制作で映画を撮っていたんだけど、それでお金が無くなっちゃって。ちょうどその頃、知り合いだったアニメ制作会社の社長が、暇なのか? じゃ、ウチに来いよって。それで、お金もないし、しょうがないかなって(笑)」
そしてお仕事をされている間にバブル戦争も終わり……。
  「時代も変わり……」
シリーズ構成のお仕事というのは、どういうものなんでしょうか。
  「まあ、これは僕の考えだけど、作品の全体像を見渡すっていうことですね。何人かの脚本家で分担して各話のシナリオを書いていくわけですけど、それをトータルに監修していったりとか、バランスを整えたりとかいうことをしていく人が必要になってくる」
なるほど。
  「まあ、キャッチャーみたいなものなのかな。野球で言うと」
1回から9回までの投球ペースを考えて、ゲームを作っていくという感じですか?
  「そうですね。その比喩で言うと、監督っていうのは1回、1回に入っていってしまうんですよ」
局面的な勝負に集中する感じですか?
  「ずっと現場に張り付いてね」
脚本を書くのに、どれくらいの時間がかかりましたか?
  「書き始めたのが、昨年の5月頃だったんじゃないかな? それで、年内に終わらそうと思っていたんですが、結局終わったのは今年の5月頃で、1年くらいかかったことになります」
思ったより、時間がかかってしまったんですね?
  「そうですね。ネタ的な事、バランス的な事……相当考えて書きましたね」
インタビュー・構成:サガラノブヒコ
>>第2弾へ続く・・・

 

©2005 GONZO / TAP