シリーズ「頼れるのは自分だけ」 3.お笑いブームの陰で泣く者、笑う者

 日本にテレビという巨大メディアが普及・浸透して以来、何度となく起こっては消えていくお笑いブーム。もはや今が「第何次」なのか数えるのも億劫になってきたが、代を重ねる度に笑いの質が低下していくと感じるのは自分が年をとった証拠だろうか? 確かに、ひとつのギャグをおもしろいと感じるかどうかは個人のセンスや好みに大きく左右されるものだし、それに世代間ギャップがあるとすれば尚更のことだろう。しかし、「低下」したかどうかはともかくとしても、「変質」してしまったことだけは間違いない。かつての芸人は寄席に集まった客にじっくりと落語や漫才、漫談を聞かせていたものだが、主な舞台がテレビに移行するにつれて「ネタ」よりも「アドリブ」が重視されるようになった。テレビの視聴者は作りこまれた笑いよりも、わかりやすいハプニングをより好んで求めるようになったのである。現在ではハプニング番組も、過剰なヤラセ演出やアイデアの枯渇により飽きられる傾向にあり、再びネタ見せ番組に注目が集まっている。だが、テレビからネタ番組が消えていた「失われた時代」の損失は意外に重く、もはや視聴者は「フリ」から「オチ」へと至る過程をゆっくり楽しむ余裕をなくしてしまっていた。芸人がテレビに登場し、1分も経たない間に一発ギャグを連呼して去っていく、そんな簡便なスタイルが今日のテレビ界においてはすっかり定着してしまっているのである。果たしてこれを「芸」と呼んでいいのかどうかは、意見が分かれるところであろう。

 さて、こんな状況にある現在のお笑いブームだが、出演する側――主に若手芸人たちにとっては、チャンスを掴める者と掴めない者の差がはっきりと出てしまっている。TV局プロデューサーの助言や所属事務所の意向に従い、ひたすら一発ギャグを繰り返すタレントはあっという間にメディアの注目の的となり、連日忙しい毎日を過ごすこととなる。その陰で、自分が真に「おもしろい」と思えるものを追及すべく、漫才やコントのネタ作りに励んでいるものは、テレビなどからは声がかからず、ライブのチケットも自ら手売りするような、貧乏臭い生活を送っているのが現状だ。

 ところが長い目で見てみると、実力が伴わないまま一時しのぎのギャグのみを与えられた者は、やはり年末年始の特番ラッシュを境にテレビから姿を消していくし、地道に努力を続けた者は何年かかろうとも日の当たる時が来て、看板番組を持てるまでに出世する場合も決して少なくはない。もっとも、陽の目を見ないままで終わるとも限らないのではあるが……。

 たとえ一発屋で終わっても、華々しく世間から注目されるのがいいのか? いつか報われる日が来るのを信じて貧乏生活を耐え忍ぶのか? どちらの道を選ぶのかは、結局は自分の気持ちひとつ。己の信じた道に背きさえしなければ、どんな末路が待っていようとも後悔はしないはずだ。

 世の中がこんなに不安に満ち溢れている今だからこそ、彼らお笑い芸人にはもっと頑張ってほしいものである。